「クレオパトラの涙」

シルクロードの要衝として栄えていたジョージアは、古代から各国へワインを輸出していました。

ジョージアワインは2000年前にはすでに世界で広く認知され、楊貴妃やクレオパトラにも愛されていたという逸話が残っています。そのひとつが「クレオパトラの涙」です。

クレオパトラ7世(前69~前30)とは、アレクサンダー大王の東征ののちにその配下プトレマイオスによって開かれたプトレマイオス朝の末裔。ローマのカエサルと結び支配権を握り、その死後はアントニウスと結んだが、前31年にオクタウィアヌスのローマ海軍とのアクティウムの海戦に敗れ、翌年自殺。絶世の美女と呼ばれ、ローマ帝国の時の権力者たちを手玉に取っていたと言われているクレオパトラですが、実際には政権を維持するのに強い不安を抱えていたのだとか。

その不安や孤独を紛らわすために、涙しながらジョージアワインを飲むことが多かったようです。いつしかジョージアのワインは「クレオパトラの涙」と呼ばれるようになりました。